白石城がある白石市街地には白石川が流れています。
その白石川は下流に行くと阿武隈川と合流し、太平洋へと流れていきますが、阿武隈川と合流する手前に大河原という町があります。
今回はその大河原にある、とても歴史のある老舗へ伺ってきました。
その老舗とはこちら、市場家です。
市場家は元禄7年(1695年)に創業した老舗の菓子処です。
元禄は5代将軍徳川綱吉の時代で元禄小判が鋳造され流通し始めたのが元禄8年ですので、その前年に創業した菓子処となります。
この市場家の創業者は仙台藩祖伊達政宗公の家臣である臥牛城城主、石川氏の御用菓子司だったのだとか。
それ以来、一子相伝で菓子作りを守ってきたんだそうです。
市場家の別の面に掲げられた看板は「銘菓 晒よし飴」。
実は晒よし飴、暖かいと作ることが出来ないみたいで、毎年10月ごろから販売を開始し、5月ごろに終了してしまうのです。
なので今の時期しか買うことが出来ません。
もちろん今回は晒よし飴を購入します。
店内に入ると、ほかのお菓子も並んでいますが、やっぱり晒よし飴。
様々なサイズがあるみたいですが、ひとまず初めてなので一番小さなサイズを……。
で、買ってきたのがこちら。
きちんと包装されています。
包みを開けると……。

いいですね、この感じ。
ワクワクします。
箱のふたを開けると、晒よし飴の由来とお願いが。
“ある日お殿様に珍しい菓子を作ってみよ、と言われて色々と考えていました。ある時大沼という沼のほとりで考えを巡らしていると、岸辺に生い茂った葭(よし)という草木を見つめ、よしか、とつぶやいた時に、よしにちなんだお菓子を作る考えがまとまった”のだとか。
その後、飴の品質で最高級を指す「晒(さらし)」という字を加えて「晒よし飴」になったんだそうです。
なんか変な名前だなと思っていましたけど、こうして由来を聞くとフムフムと納得してなんだかかっこいい名前に感じてきてしまいますね、
箱のふたを開けるとまたさらに注意書きが。
「開封の際は静かにお開け下さいませ。」
そんなに危険なのか……ドキドキする。

で、ようやく缶までたどり着きました。
この川と葉っぱの絵はやっぱり「よし」なんですよね。
それでは蓋を「静かに」開けたいと思います。
開いた……、でも少しこぼれてしまいました、こういうことだったのね。
晒よし飴は湿気や温度、衝撃にとても弱いため、それらから守るために缶の中にこのような小さな粉粒が充填されているんだそうです。
手で掘るとやっと飴が姿を現し始めます。
けど、これ中どうなってるんだろう?全然飴が取れない……。
ちょっと粉を缶のふたに移し、箸を使ってほじくり出します。
格闘すること10分……。
やっと出てきた!
これです、これが晒よし飴です。
キラキラしていて宝石のようですね、まさに「宝石箱や~」。
それでは一ついただきます。
……あ、溶けていく……。
口の中に入れると、ちょっとの力でパリパリと溶けていく感じ。
味は綿あめのような味ですけど、何だろこの上品な感じ。
予想外過ぎてビックリです、でも本当に美味しい。
飴を半分かじってみると、中は空洞になっているんです。
小さな飴のパイプが集まっている構造だったんですね、これはすごいな。
技術力にびっくりするほかありません。
300年以上前の人たちもこの晒よし飴を作っていたんですよね、で、周りの人たちもこの晒よし飴を食べていた……。
なんだか本当にすごいことですよ。
この晒よし飴、宮城県のお土産品や名物の中では、一部の人以外まだあまり知られていないみたいですが、お土産や贈答用になんかもいいと思います、冬の間だけの期間限定ですし。
市場家 宮城県柴田郡大河原町字町251